昔に想いを馳せる

こんばんは。
最近めっきり漬物にハマってる人です。
パリポリ食いまくってます。

思い返すと、昔の僕にも漬物が好きな時代がありました。

〜回想〜

中学生の頃、月に一度、給食の献立が掲示されると、
各々自分の好きな給食を手に入れるために、こぞってトレードを始めるという異質な光景が広がる時代がありました。

どういうことかというと、
「今日の給食の白身魚フライをお前にあげるから、来週のプリンくれよ。」というような、
いわば「商談」ともいえる事が、教室の至る所で行われていたのです。
手元の白身魚フライは減りますが、未来のプリンが一つ増えるわけですね。

最初、僕を含めた数名程度のごく狭い範囲で始まったこの「給食トレーディング」の文化は、
次第に学年全体に影響を及ぼし始め、
帰りの会で献立表が配られた時には、
今配られたばかりの献立表をハサミで細かく切り始め、「マイ給食リスト」として常に携帯する層も発生。

隣のクラスの仲良いやつに、
「明日のプリンヨーグルトちょうだい!この中になんか欲しいやつある?」
と、給食リストを片手に問えば、
「わりぃな、もうプリンヨーグルトは予約が入ったよ。小魚アーモンドかヨーグルトレーズンならまだあるがね。」
といったように、「品切れ・品薄状態」もしばしば起きるようになりました。
需要の大きいものから順に、市場から姿を消すのです。

勘の良い方はお気づきでしょうが、
ここまでくると、徐々に給食メニューは「通貨」のような役割を持ち始め、
例えば「梅ゼリー」を手に入れる代わりに、「給食の後片付け」を請け負う、という労働契約があちこちで交わされるまでになりました。

「給食の後片付け」という職種は、「給食を食べ終わったらすぐに校庭や体育館の陣地を確保するためにダッシュしたい顧客」が毎日必ず存在するため、常に一定のニーズのある職業でしたね。(30歳男性)

そうして梅ゼリーを10個ほど手に入れて巨万の富を得た者は、
その財を元手に、さらに大きい仕事を依頼出来るようになり、
自転車の二人乗りの漕ぐ方「運転手(ドライバー)」をやらせたり、
「運び屋(トランスポーター)」にカバンを持たせて手ぶらで登下校したりするように。


そんなある日の事です。

その日は、「パリキュー」という小袋入りのキュウリの漬物が出る日。
何を隠そう僕はパリキューに目がなかったので、
くる日もくる日もパリキューのために労働してきました。
そう、この日を待ちわびていました。

ところが、欲(パリキュー)に目が眩んだ僕は、あまりにたくさん契約を交わしすぎて、
いったい自分がどれだけのパリキューを手に入れたかすら把握していませんでした。

給食時間の始まりとともに、学年中から僕の机の上に届けられる、おびただしい数のパリキュー。
もう置く場所がないというのに次々に届けられるパリキュー。
ちゃんと契約を履行してパリキューを届けるみんな。

5袋くらいまでは美味しく食べる僕。
ところが、すぐにそれは苦行へと変わります。
ただのしょっぱい何かです。
牛乳が足りません。
心地いいはずだったパリパリ食感にも、次第に殺意を覚え始めます。
クラスで一番の秀才は「血中塩分濃度やばくない」と冷たく言い放ちます。

目の前に山積みとなったパリキュー。
悲しい事に、梅ゼリーと違って、
当時の中学生には不人気だったパリキューは、
たくさん保持していても、通貨としての役割を果たす事はありません。
不良債権で埋め尽くされた机の上。

食べきる事は早々に諦め、両手からこぼれおちるほどのパリキューをカバンに詰め込みました。


少しブカブカの学ランに袖を通した時には、夢と希望と教科書を詰め込んでいたはずのカバンに、
大量のキュウリの漬物の小袋を詰め込んだのさ。

その日からかなぁ、
僕があいつ(漬物)の目を見れなくなったのは。

受験勉強の訪れとともに給食トレーディングの習慣は自然消滅し、
風化され、今や覚えている者も少ないでしょう。

今日もどこかで、給食トレーディングが行われているのでしょうか...

〜fin〜



昔の写真が好き

今日は、見に行きたくて仕方なかった写真展に行きました。
旭川市博物館で行われているやつです。
(入り口。ここから先は写真撮ったらダメ)

1970年代から現在までの旭川の写真がたくさん展示されてるやつです。

時系列に並べられていて、本当に見応えがあって面白かったです。
一番見たかった80年代終盤〜2000年までがごっそり抜けているのだけが残念でしたが、
それでも何百枚もの写真を見てると、いろんな気持ちが込み上げてきて、
途中途中、涙目になりながら見ていました。

「自分が生まれるつい10年前まで道路って土だったの?」とか、
「このお姉さんはばあちゃんと同年代くらいかな」「このちっちゃい子は母さんと同年代くらいかな」とか、
「このパンチパーマのツッパリも今は孫ぐらいいるんだろうな」とか、
展示のほとんどが白黒なのに、生き生きして楽しそうな写真ばかりだった印象です。

本当は、昔のファッションや街頭広告のデザインを見たくて行ったのですが(今回のライブ会場がその時代に人気を博した映画館なので)、
そういった派手な風景や流行り物が見える写真は少なく、
どちらかというと、団地や農作業、お祭りなど、当時の素朴な暮らしが見える写真展でした。
でも期待外れなんてことは全くなく、むしろ写真の中の世界が身近に感じ、
そこに映る人達の生活や今を想像したり感情移入したりして、ただただ半ベソになって終わりました。

ぜひ皆さんも見に行ってください。
そして展示ブース前の台帳にある「佐藤えのき」の名前を探してみてください。



チケットちょっとずつ売れてる

今日も直接チケットを一枚ご購入頂きました。
こちらからお願いするでもなく、
「売り切れたら嫌だから早く買っておくわ」といってお金を握らされました。
本当にありがたくて、嬉しいです。


同様に、クラウドファンディングやネット購入に明るくない方々から、僕のところに直接チケットのご予約を頂いてる分がありますが、
ご入金いただいた分から順次クラウドファンディングで代理購入する形を取っていきたいと思います。
というのは、クラウドファンディングのリターンの在庫数が操作できないからです。
「もう無くなりそうだからリターンの販売とめるわ」とかも出来ないのです。
クラウドファンディングでも売って、直接販売もしてとなると、オーバーブッキングになりかねないのです。
なので「アオヒゲ事務局」の名での購入がこれから増えてきますが、そういうことです。
ご心配なく。



Tシャツのデザインを決める

↑↑投票ページはこちら↑↑


僕たちのもとに送っていただいていた素敵なデザイン達、
やっと皆さんにお見せすることが出来て嬉しいです。
送っていただいた事が本当に嬉しくて、全種類作りたいのですが、お金がないので1種類しか作れません。
とても1つに絞れないので、皆さんにお任せしたいと思います。


11/27まで投票受付中!一人一回だけです!
1位〜3位まで投票することができ、
1位=3pt、2位=2pt、3位=1ptが入るようです。

みんなから募集した!
そしてみんなで決める!
これこそみんなで作るライブのあり方!
さあ早速投票だ!

(執筆者:えのき)

0コメント

  • 1000 / 1000