買物公園と僕

今日は、写真を撮りに買物公園へ繰り出しました。

10月中旬に行うクラウドファンディングに使うための写真をたくさん撮りました。

(初めて読む人は、先に過去の記事を読むのをお勧めします。)

少し僕の話をします。


平成元年、

神奈川県相模原市に生まれた僕は、幼き頃に北海道苫小牧市に引っ越し、出身地の説明がややこしいという十字架を背負った人生をスタートさせました。


小学生のときに両親の離婚があり、それなりに貧乏もしましたが、勉強も運動も何となく「ヒョイッ」と出来てしまうタイプだった僕は普通に楽しい少年時代を過ごしました。


道を外れたり何とか軌道修正しようとしたり、妻と出会ったり、

紆余曲折、右折左折、右往左往、右投右打の青春があり、


2010年末に旭川に移住してきました。


地元苫小牧から旭川に越してくるにあたり、

「安くて駅に近い物件を」という僕の希望を不動産屋さんは見事にかなえてくれ、

「永山駅」という駅の近くに住むことができました。

(Wikipediaより、永山駅)


これが旭川中心部からめちゃめちゃ遠く、思い描いていた駅と全然違いましたが、

住んでみると快適で割と気に入っていました。


就職先はホテルでした。

職場は、旭川の中心部・買物公園の端っこにあり、

通勤は毎日JRで永山~旭川駅を移動(1時間に1本、よく雪で遅れるし、熊轢いて止まったこともある)、

そこから買物公園をほぼ端から端まで20分ほど歩いて通勤。

3年ほどで「やっぱりしんどい」となってもう少し職場に通いやすい場所に引っ越すまでは、この生活を続けていました。

今日の写真撮影では、当時の事を思い出して少し懐かしい気持ちになりました。


(こんなレトロな雰囲気のお店も健在。幼少期に狂ったようにやったスーファミの「武田修宏のスーパーカップサッカー」も発見。斜め45度の位置からシュートしたらだいたい入るぞ!)


2015年春、社会人の何たるかを叩き込まれたサラリーマン時代に終止符を打ち、

ずっとやってみたかった飲食店経営の道に方向転換しました。

昨年29歳で独立開業し、小さなカフェですがお客様の支持を得ながら今も営業しています。


でもそれがゴールではなく、

買物公園という場所を賑わせたいというざっくりとした目標はずっと持っていました。

僕が旭川出身じゃないからこそ、買物公園の美しさに惹かれるものがあったからです。


2004年、高1のサッカーの遠征で旭川に来た時にバスの窓から見た買物公園の、

「なんだこの美しい道。絵かよ。」

と思った衝撃は今でも忘れません。鮮明に覚えています。絵で描けるほどに。

でも、記憶の中の買物公園には、もっと人が歩いてたんです。

数年後に旭川に来て、あまり人の歩いていない買物公園を見て、少し寂しかったんです。


買物公園に人がくる仕掛けを作りたい。

僕がやらなくても誰かがやってくれるかもしれない。


でも僕にもできるかもしれない。


一人じゃ無理でも、力を合わせればできるかもしれない。

力を3つ合わせれば「劦」。なんですか?この漢字。


とにかく力を貸していただける人はTwitter、Facebookのメッセージ、またはお問い合わせフォームやコメント欄でお気軽にご連絡を!

(舞台に立ちたい、裏方に興味がある、何ができるかわからないけどなんか参加したい等)

昨日の記事についても、これまで繋がりのなかった人からもTwitterのDMやリツイートなどしていただき、とても励みになっています。こんなにポジティブな反応があるんだと驚いています。

(それでもまだまだ仲間は足りません。)


僕がなぜ「お笑い」で街おこしをしようと思うに至ったかは、明日の記事に書きたいと思います。

(なんだか文章がうまくかけず、0時更新のつもりが結局1時を過ぎての投稿になってしまい、めちゃくちゃ凹んでおります。)

(自分に憤るえのき)


(執筆者:えのき)

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